<令和5年5月6日>
この日は動物病院に行く日でした。
朝の御飯はいつも以上にガツガツと食べました。他のコの御飯も順番に平らげ、気持ちいいほどの食べっぷりでした。食前の利尿剤を飲ませることも食後の注射も慣れたものでした。いつもと変わらない日になるはずでした。
予約時間の30分前に出発の準備をしました。
「ちぃ」をトイレに連れて行きました。いつものように自分でトイレに入りカギの尻尾をプルプルと震わせながらオシッコをしているところを私はじっと見ていました。
生命の営みだという実感があったのか、この光景が目に焼き付いて忘れられません。たぶん今後も忘れることはないでしょう。
トイレからリビングまでは、トイレハイだったのか、軽くダッシュしてました。キャリーボックスを物置の奥から出してくると、いつもなら腰を低くして逃げたりするのですが、観念しているのかのようにおとなしく捕まり中に入れられました。
車で15分ほどで病院です。車が走り出した頃に2・3度鳴き、その後はおとなしくなりました。三ヶ月の間にしょっちゅう通っていたので車に乗るのも慣れていたのかもしれません。それとも元気がなかったのかも。
病院に到着すると、まずは「ちぃ」を車に残したまま、診察券を受付に出しに行きます。その前に、いつもはやらないのに、キャリーボックスの上部の蓋を開け「ちぃ」の頭を軽く撫でながら話しかけました。
「胸の水を抜いてもらって早く帰ろうな」
診察室。診察台の上に「ちぃ」を乗せ、体重を量ります。
4.3kg。少しだけ体重が増えていました。胸水がたまっていたからかな。
先生と話した結果、レントゲンを撮って胸水がたまっていたら抜いてもらうということになりました。
「ちぃ」は私と先生が話している間に診察台の上からそろりそろりとキャリーボックスへ自分から入っていきます。家では入りたがらないキャリーボックスも病院では避難場所なのです。
そのままキャリーボックスの蓋を閉め、先生に預けました。
待合室。しばらく待っていると先生が出てきました。
「ちぃ」の暴れっぷりがひどくてこのまま水を抜くことは難しいとのこと。
2月、3月とこれまでに2回水を抜いてもらったけれど、3月の時もよく暴れるので水を抜ききれなかったし、4月は、もっと暴れたので胸水を抜くのを諦めて様子を見ていたのです。
水を抜くときは心臓の近くに針を刺すので、暴れるのを押さえながらでは危ないということなのです。
また、「ちぃ」の暴れっぷりは、普段から爪を切ったりするときに全力で抵抗する姿を知っているので、このときも、その姿を想像してニヤニヤさえしていました。
何の緊張感も感じていませんでした。
先生からは、鎮静剤を使って眠っている間に抜くこともできるが、今の健康状態で鎮静剤を使うと(意識が)戻ってこない可能性が高くて危険です。それでも使いますか。との提案がありました。
私は即答で鎮静剤を使ってくださいと言いました。
そう言いながら頭の中で「戻ってこない」の意味を少し考えました。しかし、胸水を抜かずにそのままにしていてもずっとしんどいままだし、なんとかして抜いてもらうしかない。と思っていました。
この緊張感のなさは、「正常性バイアス」の一種だったのかもしれません、自分の身に(「ちぃ」の身に)「死」などのような大変なことが簡単に起きるはずがないとでも思っていたかのように。
全く深刻ではなかったのです。
10分くらい経った頃、先生が血相を変えて出てきました。「ちぃ」(の意識)が戻ってこないと言います。
診察室へ入るようにとのこと。
嫌な感じが一瞬したものの、このときの私は不思議なほどに楽観的で、そうはいっても先生がなんとかしてくれる、しばらく待ってればなんとか帰ってくるんじゃないの。なんて考えていました。
確かに心理状態に「正常性バイアス」がかかっていたのでした。
診察台の上には、おしっこシートの大きなものが敷かれ、その上に「ちぃ」が横たわっていました。
クリップのような物に挟まれた舌がだらりと出ており、呼吸器のような器械が口に入ってます。正面のモニターではピッピッと規則正しく音がして、いくつものグラフが動いています。
「ちぃ」は目を開けたまま宙をみているようです。
先生と女性スタッフが忙しく「ちぃ」の手に針を刺し、テープでぐるぐると巻いていきます。いろいろな薬剤を代わる代わる注射器で入れていきます。
そばに置いてある楕円形の金属の器には抜かれた胸水が入っています。
よーく見ると開いたままの目は瞳孔までが開ききっているように見えます。焦点が定まらずあきらかに意識はない感じなのを見て、私はようやく危機感を感じてきて焦り始めました。
「ちぃ!ちぃ!」
何度か声を掛けましたが反応はありません。
鎮静剤を射ってから20分で意識が戻らなければ、このまま・・・。と言われました。既に15分経っているとも。
モニターの時計は「11:43」。
その頃には規則正しかったモニターの音はピーーーっとにぎやかに響き、先生が心臓マッサージをするとピッピッという音に落ち着くが、また乱れるという状況になっていました。
先生はモニターのグラフのひとつを指して、薬剤を投入したらこのグラフが大きく反応するはずが変化しない。と言う。
効いていないということのようだ。
つまり・・・呼吸や心臓はまだ動いているものの生体反応が弱くなっており、機械を止めたら・・・もう・・・ということなのだ。
機械は危険な音が鳴っては正常に戻りを繰り返している。
モニターの時計は、何回見ても「11:44」だ、そんなことはないはずだが、時間が進まない気がした。
さらに数分が経過し、タイムリミットの20分を超えた。反応がうすいグラフもだんだんと高さがなくなり低くなっていく。
瞳孔の開いた瞳は、もうどこも見えていないのだ。
「先生、これ瞳孔開いてますよね」
先生は何も言わない。
ふと2年前に亡くなった義父の臨終の場面が思い出された。あのとき救急車がきてから病院でもずっと心臓マッサージを続けていた。心臓マッサージを止めると自発的に心臓は動かない状態となっており、止めることの決断を迫られていたのだった。
「ちぃ」に取り付けられた機械や先生の心臓マッサージもあのときと同じなんだろうな。
モニターのグラフの波形。警告音。開いた瞳孔。焦っていく気持ちは落ち着いてきて、あきらめの気持ちがでてきた。
私は、妙に冷静な頭で機械を止めてもらうように先生に伝えた。
先生が処置をするとのことだったので、待合室へと出ました。
「ちぃ」の命が亡くなったのだ。こんなにあっさりと!実際に呼吸や心臓が止まるところは見ることが出来なかったが。機械を止めたら死んでいるのと同じだったのか、現実とは思えない。
女性スタッフが紙でできた簡単な棺を用意できますがどうされますかと聞いてきた。
”ひつぎ”だって! ああ、そうか死んだんだからそうだよな・・・。
「いえ、キャリーボックスにいれてください。それで連れて帰ります。」
待合室の窓から外を見ると、駐車場にたくさんの車が止まり順番を待っている人たちがいた。「ちぃ」の診察が長引いたからに違いありません。
「ちぃ」が死んだというのに涙も出やしない。なんて冷静なんだ俺は。
そうだ妻に言わないと。電話したほうがいいな。びっくりするだろうな。泣くかな。なんて言うだろうか。とにかく伝えよう。
一旦、病院の待合室から外に出て病院の玄関先で妻に電話を掛けた。
妻が電話に出て、冷静に話し始めたつもりだった。
「ちぃが、死んで・・・・・・しもうた・・・・・」
妻の声を聞いた途端、涙がボロボロとあふれ、嗚咽がこみ上げてきて言葉が詰まる。
人や車の往来が多い道路も隣接しており病院前のとても人目に付く場所だったので、感情を必死に押さえ嗚咽はおさまった。なんとか妻に今の状況を簡潔に伝え電話を切りました。
妻の反応を心配する前に自分の感情が溢れてしまったことに自分で驚きました。
電話を切り待合室に戻ると診察室に呼ばれました。
先生は、大の大人の泣き顔(私の顔)を見て少し驚いていたように見えました。
先生は「ちぃ」を助けることができなかったことを詫びました。
「ちぃ」の辛い病状を何とか楽にしてやろうと努力してくださった結果、誰も望まぬ状況になってしまったのです。しかし、鎮静剤の判断は間違いだったかもしれない、危険だという説明を受けたのにそれを簡単に容認したのは私なのだ。
一瞬のうちにいろいろな思いがよぎり、先生にどう言葉をかければいいのか迷いました。
何か声に出そうとすると泣いてしまいそうだったので、ふりしぼるように「お世話になりました」とだけ言えました。
もっと先生にねぎらいの言葉を言えば良かったと後悔しましたが、このときは精一杯だった。
”亡骸”になった「ちぃ」を入れたキャリーボックスをかかえ、診察室を出ました。
女性スタッフが診察室の外で診察券を手渡しで返してくれると共に、この日の診察料金は要らないと言われました。そして「ちぃ」のことを見送らせてほしいとの申し出を受けました。
私は女性スタッフが待っているのを気にして、「ちぃ」の状態を確認することなく車に乗せてエンジンをかけた。スタッフの方の見送りを受けて帰路につきました。
助手席に乗せた「ちぃ」の命が今はもうないのだという事実がなんとも納得できない、信じられない気持ちでいっぱいでした。
家に帰り妻に病院でのことを話しながら、「ちぃ」をかわるがわるなでました。まだ体はあたたかくて手足も柔らかい。つい2時間前までトイレで尻尾をプルプルさせながら「動いて」いたコが・・・本当に信じられません。
妻が知人から聞いてきたペットの火葬業者をウェブで調べ電話しました。翌日の予約がすぐに取れました。今からでも空いているとのことでしたが、まだ体もあたたかいのにそんなにすぐに連れて行くのは嫌だと思って翌日にしたのです。
用意する物を確認中に、普段食べていた食事を一食分、紙かラップに包んで持ってくるよう言われました。まさにお供えなんだけど、お供えみたいだと思うと同時に今夜からもう食事を食べないんだと気がつきました。急に「ちぃ」の「死」を実感したような気がしました。
今朝はあんなにガツガツ食べてたのに・・・目頭が熱くなり電話の言葉が震えました。
他のネコたちの様子は、あまり普段と変わらず、「ちぃ」の亡骸を見ても人間が想像するようなドラマチックな感じとはほど遠く、ある意味ガッカリしました。
徐々に冷たくなっていく亡骸を何度も何度もなでました。
夜は「ちぃ」が6ヶ月以上も上がってこられなかった2階の寝室へ連れて行き、私の枕の近くで一緒に寝ました。